2012年2月11日(土) 東奥日報 天地人



 冬だからこそ、心に染みる温(ぬく)もりがある。北国生まれには、よく分かる。

 「毎冬、湯タンポが欲しくなるような寒夜がつづく今時分になると、きまっていまは亡きおふくろが生前十八番(おはこ)にしていた夜回りのことが思い出される」。布団に入り込んだ夜の冷たい空気を追い出そうと、家族の布団をてのひらで軽くたたいて回っていた母親。その姿を、作家三浦哲郎さんは随筆として書いた。選び抜かれた一語一語の響きが美しい。湯タンポという言葉が郷愁を誘う。

 湯タンポは「湯湯婆(ゆたんぽ)」とも書く。江戸時代までは、湯婆(たんぽ)と呼ばれていた。明治以降は、上にさらに湯という文字を重ねて、湯湯婆となった。中国から入ってきた道具であり、「婆」は妻の意味。「湯を入れた温かい容器は、妻を抱いて寝ているようだ」というしゃれだという(小泉和子著「昭和すぐれもの図鑑」より)。暮らしの道具に、先人は何とも人肌恋しい名前を付けたものである。

 寝床の湯タンポが、雪と闘った体を温める。雪かきで疲れ切った足、バスを待ちながら凍えていたつま先も、湯タンポの上でくつろぐ。とはいえ、「厳しいこの冬は、いつまで湯タンポの世話になるのだろうか」と思い煩い、毎夜、眠りにつく人も多かろう。

 暦の上では立春も過ぎ、あともう少しの辛抱。春が来ない冬はなく、氷が解けない春もない。暮らしの中で春を待つ。朝起きて、湯タンポの栓を抜けば、ポコポコと流れ出る水の音に春の小川のせせらぎを想像する。水ぬるむ季節の到来を願う。


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