2003年12月11日(木) 東奥日報 特集

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■ 今も息づく“力道山物語”/希代のヒーロー、没後40年

 十二月十五日は、プロレスラー力道山の命日である。一九六三年、暴漢に刺され急逝して以降も、当時を知る人々に残した鮮烈な印象は色あせず、知らない世代へと語り継がれる。没後四十年。節目を迎え、希代のヒーローの“身辺”がにぎやかだ。

 ▽英雄の資質

 命日と前後して、十一日にプロレスの追悼興行、十七日から東京都内のデパートで記念展。故人をしのぶイベントのほか、今年は関連書物の出版も続いた。いずれも売れ行きは上々という。

 力道山の故郷、北朝鮮で八年ほど前に出た漫画の日本語訳「北朝鮮版 力道山物語」(柏書房)が三月に発売された。力道山の二男でプロレスラーの百田光雄氏はこのほど、二十年前に刊行した本を加筆、修正して「父・力道山」(小学館)を追悼出版した。担当者は「戦後のスターといえば石原裕次郎、美空ひばり、力道山でしょう」。

 夫人の田中敬子さんはこの夏、回顧録「夫・力道山の慟哭(どうこく)」(双葉社)の出版を機に、夫亡き後初めて公の場に姿を見せた。「時代が何を欲しているか、それを見極める天性のものを持っていた」。妻の言葉に英雄の資質が見え隠れする。

 ▽生き続ける魂

 元プロ野球選手の張本勲氏は、力道山に目をかけてもらった一人だ。「一生忘れられない言葉がある」と言う。六一年、21歳で初の首位打者に輝いた時のこと。喜び勇んで力道山の元へ報告に行くと、一喝された。「これで勝ったと思うな。もう次の戦いは始まっているんだって言われてね。愛情だよ」。勝負に対する厳しい姿勢は通算3085安打への糧だった。

 「私、プロレスの味方です」の著者で直木賞作家の村松友視氏は、衰えぬ人気をこう分析する。「テレビ文化とともにプロレスという新しいジャンルを大ブレークさせ、日本人の新たなヒーローとして活躍した彼が、実は北朝鮮出身のコリアンだった…。力道山物語は今も脈々と息づいている」

 空手チョップで日本中を熱狂させた現役時代、あまりにショッキングな死、その後明かされた生い立ち−。伝説と呼ぶにふさわしい人生が今なお続く人気を支えているのは間違いないだろう。

 「おれは(死後)四十年たっても、こうはならない」。まな弟子のアントニオ猪木氏は笑い、そしてこう続けた。「戦後のあの時代に夢を与えてくれた。力道山の魂はこれからも生き続けるよ」



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